前略、チャールズ・ロバート・ジェンキンスさん お元気にポーツマスでしょうか。
私、キャットひろしも元気にポーツマスしております。
私がジェンキンスさんと初めてお会いしたのは、2年前の、
2007年3月3日(偶然にも、おひなまつり)のお昼の東京駅でしたね。
私が駅のホームで上越新幹線を待っていると、当時付き人をしてくれてたジジぶぅさんが、
「ジェ、ジェ、ジェンキンスさんがいますよ!」
と、入れ歯が外れそうなくらい興奮した様子で言いました。
普段ウソばかりつく虚言癖のあるジジぶぅさんの言うことだからと、
私も半信半疑、いや、ほとんど疑いの目で見ると、
「うわぁ!ホンモノのジェンキンスだ!(初めてだったので、呼び捨てで失礼します)」
私はジェンキンスさんになんとかお近づきになりたくて、でも何と言って良いのか?
「いつもテレビで見てますよ・・・・」違う!違う!
「がんばってくださいね・・・」これも違うと悩みました。
そんな時に家庭の役に立つのが年の功のジジぶぅさんでした。
ジジぶぅさんにジェンキンスさんへのきっかけの橋渡し役を頼むと、
さすが普段からブゥ〜ブゥ〜し〜ジジぶぅさんでしたから、
すぐにジェンキンスさんに古くからの友人のように話しかけていました。
それを確認した私も加わり、短い時間でしたがお互い記念写真を撮らせていただきました。
しかし当然、ジェンキンスさんは私、猫ひろしのことはご存知ではありませんでした。
同行の通訳の方は、猫ひろしのことをご存知だったようでしたが、
その時のジェンキンスさんは猫ひろしにはさほど関心は示されませんでした。
ところが佐渡島にご帰宅され、昼間に猫ひろしという小男と遭遇したことを娘さんのブリンダさんに話されたところ、
にゃんとブリンダさんが猫ひろしのファンだったとのことで、
それならそうと、パパとしては意外にミーハーなジェンキンスさんは、
猫ひろしとの写真を、ご自身のケータイ待ち受けにされたのでした。
それから数週間後のこと、フジテレビのお堅い番組「スーパーニュース」のスタッフが、
ジェンキンスさん特集の取材に行った時のことでした。
取材中ジェンキンスさんのケータイが鳴り、スタッフがふと見ると、
そのケータイ待ち受け画像がニャンと、
「東京駅だわ〜 ジェンキンスさんと、猫ひろしと、年寄りジジぶぅ」
であったと言う、ニャンとも笑えるサイドストーリーでした。
真面目なジェンキンスさんのホットでキャットな余談として、その“猫つながり”が買われ、
急遽スーパーニュース取材班が事実関係を確かめに、猫ひろしのもとへ取材に来ました。
そして放映された番組を見ると、
番組とCMのまたぎで、ジェンキンスさん報道の映像が流れる中、テロップで、
画面右に「ニャーぜか猫さんと!」
画面左には「最後の脱走兵の反論」
と見方によっては、完全な脱北兵にも見える猫ひろしであったのでした。
真面目な報道番組でしたので、報道後のスタジオでのキャスターのコメントでは「猫ひろし」のことは一切ふれられず。
ある意味その時間はすごいシュールな報道番組になっていました。
ちなみにそのオンエアの後、フジテレビに「なんだあの猫は!」「猫の手も借りたのか!」とか苦情が殺到したとか、しないとか・・・・。
これで公にジェンキンスさんとの関係がもてた猫ひろしは、ジェンキンスさんとさらなる友好条約を結ぶ為、
完全プライベートで、新潟県佐渡島にお住まいのジェンキンスさんに会いに行くことにしたのです。
さりとてネコもコネもなく、独自の下調べの結果、ジェンキンスさんは昼間は「佐渡歴史資料博物館」にいらっしゃり、
しかも火曜日以外の週六を9時〜6時でガッツリ働いていらっしゃることが判明しました(2007年当時)。
その数少ない情報だけを頼りに、ただただジェンキンスさんにもう一度会いたくて、
2007年6月11日、新潟港から、ニャーフェリーに乗り、マリリンに会いたいよろしく、佐渡島に渡った猫ひろしでした。
佐渡に渡ると、唯一の情報である「佐渡歴史資料博物館」に猫まっしぐらに訪れ、
そこのメインコーナーである展示資料コーナーに行きました・・・・・・・・・が、
そこにはジェンキンスさんのお姿はありませんでした。
やはり突然アポなしで会いに行ったのが失策だったか・・・・
そこで猫は途方に暮れました・・・・
が、気持ちの切り替えが早漏な猫ひろしは、
「まあ〜せっかく東京からはるばる佐渡島まで来たので、嫁に佐渡みやげの「おけさ人形」でも買って帰ろう〜」
と、 すっかり観光客気分で館内にある売店コーナーに行きました。
そこで私が見つけた佐渡名物のおみやげは・・・・・
いやおみやげではなく、ニャ〜〜〜んと、
おみやげを売るチャールズ・ロバート・ジェンキンスさんだったのでした。
やったぁ〜〜〜〜再会できましたニャ〜〜〜!
ゴーーール!!
私はすぐにジェンキンスさんに猫足で歩み寄り、その節のお礼と再会のごあいさつをして、
私は東京で買ってきたジェンキンスさんへのプレゼントの包みをお渡ししました。
ジェンキンスさんは、その包みを開けるとたいそう喜ばれました。
中身は、ジェンキンスさんの大好物であるカステラと、
にゃんと雑誌「Mr.バイク」の2006年11月号の表紙も飾られたバイク好きのジェンキンスさんですので、
オートバイのプラモデルも入れておきました。
どちらも事前にリサーチした、「笑い」のウケを狙わないまさに安定感のあるプレゼントでした。
ここのおみやげコーナーがジェンキンスさんのご担当でした。
私は売店で佐渡島名物「太鼓番せんべい」を、縁起かつぎに末広がりの8個・・・は予算がなく、ラッキー7の7個買いました。
私が商品を7個取ると、その空いたスペースに、新たな「太鼓番せんべい」を7個即補充するジェンキンスさんの手際の良さ。
今の日本人が失いつつある勤勉さを感じました。
この「太鼓番せんべい」のパッケージにはブルーリボンが貼ってあり、
売り上げの2%が拉致被害者支援のために使われると言うことでした。
私はジェンキンスさんと再会の記念撮影をして、ジェンキンスさんの執筆本にサインをお願いすると、
「To Cat Hiroshi san 」
と、和洋折衷なサインを書いていただき、キャットひろし感激〜〜〜!
これで今回の任務完了・・・・
ではありませんでした、これから猫ひろし本来の友好の交渉術として
ジェンキンスさんの前でネタ見せを披露いたしました。
館内の応接室にあるシートに座られたジェンキンスさんは、
「ホワッツマイケル?いったい何が始まるんだ・・・」と不思議そうな顔をされてました。
そして衣装に着替えた猫ひろしが登場〜
「猫ひろしのギャグ100連発〜〜!」
いつものギャグの炸裂・・・・しかし、NO反応NO笑いのジェンキンスさん。
そもそも日本人ですと、ネタの意味はわからずとも、叫んでる言葉だけは通じるギャグ100連発も、
ウィットにとんだアメリカンジョークの本場であるアメリカ生まれのジェンキンスさん、さらに言葉の壁もあり、完全にアウェイ。
崖の上の猫ひろし、しまいには、場をわきまえず、
「お国のためにワイハーに行ってきます!恥ずかしながら帰ってまいりました・・・
敵軍は何機だ?・・・一揆!一揆!」
・・・それもだめなら、これしかニャイと、よりによってその場では禁じ手である
「ノドン、テポドン、松屋の牛丼!は〜良かった。」
これをやって完全にすべった猫ひろし・・・・・・・・。
もうこれでサムライも力つきたかと思われ、苦しまぎれに出した下ネタ・・・・
ニャんとこれがクリーンヒット!
海パン脱いで、股間の子猫ちゃんを見せたら、ジェンキンスさんはまさかの大笑い。
「下ネタに国境も、東も西も北も南もなかったんです。」
大笑いしたジェンキンスさんと、最後にふたり仲良く
「ポーツマス!ポーツマス!」
のギャグをやって、ついにジェンキンスさんと猫ひろしの歴史的な
【ポーツマス条約】が締結となりました。
そのあとに、ジェンキンスさん愛用のバイクを見せていただき、
見るだけでなく、運転するジェンキンスさんの後ろのシートにまたがった猫ひろしでした。
ジェンキンスさんはアクセルを吹かし、初夏の佐渡の町の中を、風を切って走り出したバイク。
私はジェンキンスさんの腰に手を廻し、加速するジェンキンスさんにしっかりつかまっていました。
「来て良かった、ジェンキンスさんに会いに来て良かった・・・・」
ジェンキンスさんにしがみつきながら、私はそう何度もつぶやきました。
そしてお別れする時間となり、バイクから降りて、お礼を言いました。
ジェンキンスさんは、再びバイクを走らせ、ご家族の待つ家に帰って行かれます。
佐渡島の夕陽に向かってバイクを走らすジェンキスさんに私は手を振り続けました。
そしてその走り行くジェンキンスさんの背中に向かって、私は思わず大きな声で叫びました・・・・
「ジェ〜〜〜ンキ〜〜〜ンス!」
バイクが止まった、
しかし振り返らないジェンキンスさん・・・・・私はもう一度叫びました
「ベリ〜〜ポ〜ツマス!ミスタージェンキンス!」
(ここでエンディング曲♪戦メリのテーマ)
するとジェンキンスさんは、こちらに背を向けたまま、両手を上下にさげ、「ポーツマス!」の振りを返してくれました。
そして再びアクセルを吹かし、佐渡の夕陽に向かって走り去って行きました。
私はそこに残された夕陽を眺めながら、
「ジェンキンスさんとご家族が幸せでありますように、そして拉致被害者の方々が絶対に無事で帰って来れますように。」
と祈りました。
そしてとてもきれいな夕陽をずっとずっとそこで眺めてました・・・・・。
(ほんとは、帰りの船の時間がせまり、あわてて港に向かいました)
それから毎年ジェンキンスさんから届く年賀状を楽しみにしております。
ジェンキンスさんありがとう!
これからもご家族皆さんお元気で、ベリーポーツマスなジェンキンスさんでありますように。 草々
追伸:初めて東京駅でお会いした時、ジェンキンスさんにブゥ〜ブゥ〜しく話しかけたジジぶぅさんも、
なんとかかんとか、かくかくしかジジなみに生きております。
2009年 4月 キャットひろしより