かれこれ6年位前、「地蔵寄席」と言う変な名前のライブに出演した。
地蔵の名の如く、会場は「お年寄りの原宿」と言われる巣鴨の地蔵通りだった。
そのライブに、ランニングシャツに、建設作業着のニッカボッカを履いた、やたら声と態度と、そして見た目のデカイ二人組みのおじさんがいた。
ライブ開演前、観客がまったくいないと言うことで、そのデカイおじさん二人は客引きに地蔵通りへと飛び出した。
お年寄りばかりが賑わってる地蔵通りに、とても不似合いなヘルメットかぶった、ランニングとニッカボッカの大男。
そんなストレートすぎる「オレオレ詐欺」に引っかかるお客さんは当然いるはずもなく、結局、お客ひとりのライブとなった。
その当時、スキャンティー一枚でネタをやってた俺と、ランニングとニッカボッカのふたりのおじさんたちは、
どこか合い通じるものを感じ親しくなった、そのおじさんふたりが言うには、
「ワハハは、ネタ見せをやってて変わり者がうかるらしいぞ・・・」
と言われるがままに、新人だった俺と、ランニングにニッカボッカのベテランん2人組は、
時期を同じくワハハ本舗に所属した。
これが、今や「平成楽屋真打ち」と言われている「ガッポリ建設(敬称略)」と、
俺猫ひろしの出会いだった。
それからと言うもの、俺とガッポリ建設は、
職内に行くのも、お金持ちにヨイショするのも、
そしてお金持ちから、おひねりとお車代をもらうのも苦楽をともにした。
とにかくガッポリ建設はとてつもなく強烈だっだ。
「栃木出身です!」と嘘の経歴を平気で使い、栃木の某テレビ局で番組のレギュラーを持つも、
朝のさわやかな番組で、いきなり脇の下を出し、
♪キレイに〜〜〜なった〜〜〜〜〜!
と唄い、なごり雪も降らないまま、1ヶ月で番組を降ろされたり、
ヤミ営業先で、♪翼をください というネタをやって、ネタの背中だけでなく、ケツまで蹴られて
おひねりを2万円もらう執念・・・
パチンコ屋の営業に行ったら、ネタ以外に、そのパチンコ屋でせっせとホールスタッフ以上の仕事をこなし、
それでもらったギャラが1万円と、だったら、正社員になった方がいいだろっという仕事?だったり、
24時間テレビでの、芸人100組の勝ち抜きバトルにて、間違ってみごと優勝して、武道館でサライを歌ったが、
番組中のクイズで、「サライの意味は?」という問題に、「人サライ」と答え、大問題を起こしたりと、
「ガッポリ建設」コンビ名もかなり胡散臭い。
そもそもこのおふたりは、元々落語家のお弟子さんだったけど、歴史と伝統と、縦社会を重んじる落語家の世界では、
やることなすこと反感を買っていた。
落語家を引退してから、お笑いコンビとして「ガッポリ建設」になったけど、落語家時代のふたりの悪名を知る落語関係者からは敬遠されている
しかし楽屋芸人としては名人になっている。
このふたりの私生活がこれまた対照的で、
肩書きが「ガッポリ建設部長」の小堀さんは、今でも北千住の4畳半トイレ無しのアパートに、独りで住んでいる。
しかし、肩書きが「ガッポリ建設主任」の室田さんは、品川のマンションに住み、車やお嫁さんさえも所有している。
この室田夫妻は、あるテレビ番組に出演した時、カメラの前でディープキスをしてみせた・・・と言う、かなりな夫婦である。
さらに、最近では「ガッポリ建設」は、弟子までかかえている。それが、
一番弟子 魔法使い太郎ちゃん 二番弟子 ポンちゃん人形 三番弟子 ☆ぴょんぴょん☆
と言う、、体のでかい弟子たちだ。
その芸歴16年のガッポリ建設が、ココ最近生み出した究極のネタが、
「パンダーズ」と言う、動物園のジャイアントパンダになりきって、
ただ横になっているだけというネタだ。
ちなみにそのくだらないネタを見た、宇都宮動物園から「子供に人気が出そうだから」という理由で営業の仕事が来た。
パンダを中国語で「熊猫」と書くから、
オレが「小猫」で、ガッポリ建設は「大熊猫」だ。
いつの日か、国民的大熊猫になってください。
「ガッポリ建設」公式プロフィール
☆小堀 敏夫 (こぼり としお、1972年7月10日 - ) 群馬県出身。
肩書きは「ガッポリ建設部長」。
身長177cm、体重78kg、O型。
1992年に3代目三遊亭圓丈に入門し、「三遊亭ぐん丈」の高座名を名乗っていた。
☆室田 稔(むろた みのる、1976年1月29日 - ) 栃木県出身。
肩書きは「ガッポリ建設主任」。
身長185.5cm、体重88kg、A型。
5代目鈴々舎馬風に入門し、「鈴々舎たけ馬」「鈴々舎馬賀」「鈴々舎馬賀正」の高座名を名乗っていた。
前座で名前が三回変わるという落語界の記録をもっている。
ちなみに、この公式プロフィールに書かれてる名前も生年月日も偽称ですから、
いったいどこまで、非常識なふたりなんだ。
「3〜!2〜〜!1〜〜〜〜!ガッポリ!ガッポリ!」