を 上野広小路亭で行う。
会場は、満員御礼。
人が入り過ぎてドアが閉まらなくなり、暗転ができない位の人だった。
その時、初めて彼女(この方は現在はオレの嫁です)にライブを見に来てもらっていた。
そしてオレの単独ライブは、当時から1人も女子高生が来ないライブだったのに、
にゃにゃにゃんと、そのカノジョの妹(当時16歳)が、オレのその単独ライブを彼女と一緒に観に来ていた。
下ネタ満載のライブを見終わり、その妹が姉(オレの彼女)にこう言った、
「お姉ちゃん、あの人と付き合うのやめたほうがいいよ・・・・・」
と・・・・・・・・。
ネタはともかく、裸にスキャンティーの小男と自分の親族が男女交際してると聞いたら、
そりゃやめろと言うのは当然だ。オレもオレによるオレの為のオレ自身にそう言うはずだ。
その後彼女のうちで、ご家族会議による東京裁判が開かれ、裁判の末、
被告のオレに出された半ケツ・・・ではなく、くだされた判決は
「ステージでは衣類を身につけること。この条件が飲めないなら交際は、させない。」
だった。
それはオレの人生にかかわる一大事なことだったし、
ちょうどその頃、ワハハ本舗の喰社長からも、ワハハ入りの条件として
「裸はダメだからTシャツでも着なさい」と言われてたから、
彼女のご家族には、二つ返事で「ニャ〜!」と言った。
そうなると、舞台で着るものも必要となり、憐れなオレを見かねた先輩方からもいろんな服をいただいた。
なべやかんさんのお古
(ご本人には内緒だが、やかんさんは、オレより身長が低いので、やかんさんTシャツはオレにはちょっと小さめ)
はまだ話はわかるとしても、
玉袋筋太郎さんの小学生の息子さんのお古をいただいた時は、
自分の器の小ささを思い知らされた。
とにかくそんないただき物のTシャツを着てあちこちのライブに出ていた。
ある日、Tシャツラブサミットというイベントがあり、そこでオレを見た栃木のTシャツ屋の社長が、
「これ着て下さい・・・・」と言ってくれたのが、
「はみだしチャンピオン」と書かれたTシャツだ。
そのフレーズは、まさにあの時のいつも金玉をはみ出していた「はみチンチャンピオン」のオレそのものだった。
それが縁で、次にその栃木のTシャツ屋の社長が、
「これ作ったんで着てください」と言ってくれたのが、
赤いTシャツに【猫魂】と書かれた、今の猫ひろしオリジナルTシャツだった。
Tシャツの肩に【Round87】としっかり書いてある抜け目のなさがさすが社長の梁嶋さんだ。
このTシャツの独占販売で一時は、けっこう儲けたらしい。
“猫魂御殿”が建ったとか建たないとか。
さらに気を良くした梁嶋さんは、青や黒などTシャツの色違いバージョンも作ってくれた。
それはそれでにゃんとなくわかる。
それがいつの間にか、猫魂キャップとか猫魂○○とか猫魂▲▲とか、しまいには猫魂■■まで作っていた。
いったいどんなキャラクターグッズの増産なんだ。
今では作りすぎてあまり売れなくなったTシャツのあおりを食った梁嶋さんだ。
それでも懲りずに売ってくれている梁嶋さんには感謝しています。
全裸から始まって、下半身はスキャンティから海パンを身に付け、上半身にはTシャツを身に付け。
猫ひろしは、なんとか人前に出れる姿となりました。
それでも、変わらないのが「裸足」だ。
初めて「笑っていいとも」に出たときに、出番前につぶやきシローさんから、あの茨城訛りで
「猫ちゃん裸足なの・・・・?“いいとも”だよ・・・・・」
と聞かれた。
もちろんいいともだ、裸足でもいいともだ。
裸はやめたが裸足だけはオレが芸人を始めた当時から変わらないスタイルだ。
それでもさすがに30過ぎた今では、特に冬場の野外では特製の後ろ足をつける時もある。
ちなみに裸足は、真夏の焼けたステージではもっと死ぬ思いで足の皮が熱くなり、火傷となりベロベロになると最悪だ。
そんな一年中裸足の季節の猫ひろし。
ポップスターにはなれなかったが、
いつの日か私は長靴を履いた猫になりたい。
だめだったら、福助の猫足袋でも良い。
(おわり)