猫ひろしの衣装は、赤い【猫魂】Tシャツに青い海パンだ。
今やこの姿が猫ひろしの戦闘服だ。
Tシャツに海パン、単純だけどかなりインパクトのある衣装だ。
そしてこの衣装に、147cmの豆タンク、ミニマムボディー、そしてこの顔がついているから、
良く人から「借りて着た猫にも衣装だ」と言われる。
このスタイルになるまで、芸名と同様、衣装も脱皮に脱皮を繰り返した。
俺のお笑い芸人になるきっかけは、学生の頃ネタ見せの紙を見て友人と漫才コンビを組んだことだった。
目指すはオシャレでポップな漫才コンビ。例えるならメンズノンノみたいな漫才コンビ。
そのつもりのはずだった。
それから、友達に逃げられてピンになって漫談を始めた。
目指すはオシャレでポップな漫談ピン芸人。例えるならホットドッグプレスみたいな漫談ピン芸人。
そんなポップ路線まっしぐらなオレは、師匠である東京ダイナマイトのハチミツ二郎さんにこう言われた
「おまえの漫談なんか聞いてどうするんだ。それ漫談じゃなくてただの落ち着きのない人だ。その身長に、その顔を生かして、5秒に1回笑わせろよ・・・・」
それで生まれたのが、ギャグ100連発。
2001年3月、トンパチプロ主催の「第1回フレッシュ芸人ゴングショー」。
これが改名芸人「猫ひろし」としての正式なデビュー初舞台だった。
この初舞台で「ただの落ち着きのない人」の漫談しかまだなかった俺に師匠のハチミツ二郎さんからのアドバイスは
「漫談は、やっても良いけど面白くするために舞台は全裸で出ろ!」
だった。
師匠の言うことは、芸人の縦社会の中で絶対だ。
目指すはオシャレでポップなピン芸人。
例えるなら「ガトーショコラ」みたいな芸人だ。
そんな俺のオシャレでスイーツな目標も、初舞台、全裸で簡単に崩れた。
緊張の初舞台。
全裸の初舞台。
異様な緊張と雰囲気の中、本当の意味での裸一貫からのスタート、この顔で、この身長で、さらにとどめに全裸の小男が、意味不明に落ち着きなく漫談を必死な形相でやって何故か会場満場一致の大爆笑、見事初出場初優勝そして初出入り禁止を手に入れた。
まさに、デビューの衣装が生まれたままの姿だった。
(この時点ですでに【Oh!ポップスター】の夢は完全に消滅した)
2001年8月に、「第2回フレッシュ芸人ゴングショー」が、野方区民ホールであって、オレは、前回優勝したんで優勝すると一枚づつ服を着ていくという、逆野球拳システムを導入。
Tバックのスキャンティーをまとってネタをやった。
すると又そこでミラクルが起こった。
二重飛びというネタで、舞台で必死に「エアー二重飛び」をやっていたら、猫ひろしの履いているスキャンティから下半身の子猫ひろしが顔を出していたのだ。
子猫ひろしの出現とともに段々とひいていくお客。重苦しい雰囲気。
その時にやばいと思って「昇竜拳!」と飛び上がったら、外に出てた子猫がお見事、ハウスして元のさやに納まって、お客さんは大爆笑。
あの頃からオレは「はみ出しデカ」だった・・・・・むろんあの時は「包茎編」だったけど。
この顔で、この身長、さらにスキャンティから子猫が顔を出たり入ったりの小男って、どんな前衛的な見世物小屋なんだ、それでまた優勝してそこの小屋も見事「出禁」となった。
数えるとその当時出入り禁止になった劇場は10個位ある。
全裸からスキャンティー1枚が加わって、例えるなら「笑点」でやっと座布団一枚もらったようなものだった。
【後編】につづく