2011年03月05日

猫ひろしの『東京マラソン2011』

東京マラソン、大会前日、家でラジオに生出演した他は、酸素カプセル入ったりしてとにかくリラックス。

あと自由が丘の加圧トレーニング「DEUX」の伊藤喜剛先生から
「前日は、湯船につかると筋肉緩む」 
と聞いたから、シャワーだけにして、あとリラックス作用のあるお酢飲んでゆっくり休む。

ご飯も前日と当日朝に炭水化物めちゃくちゃ取ってカーボローディング。
だけどまたまたご飯食べ過ぎてカーボローディングしすぎ!食べすぎて背骨が痛い。

しかも大便がでない。

まいった!

なので当日朝スタート4時間前にご飯食べ始めて、ご飯一杯半と餅と繊維質でパワーにもなるバナナだけにする。

食べすぎ注意!


しかし便がでない。やばいな、レース中にしたくなったらどうしよう。しかし待ってもゴドーは、来ない。

しょうがないから、7時半に待ち合わせ場所の京王プラザホテルへ。

そこで東京マラソン走る、城西大の平塚先生たちと話してリラックス。リラックスリラックス…と思ったら、


京王プラザホテルで、腹痛が、きた〜〜〜!


キロ3分半ペースで急いでトイレへ。

二日分!これ腹に入れながら走ったらヤバかった。

そして準備万端!みんなの待ってるとこへ行き、スタート場所に行こうと思ったら

平塚先生たちいないやないか〜!

どこだ先生!

どうやら俺の二日分のトイレタイムにしびれをきたし、先にいったらしい。

トイレの神様、いなかった。

キロ3分20秒のオーバーペースで荷物置き場に行き、スタート地点へ。これで当日のアップ終了!アップさんお疲れ様でした。




スタート地点は、Aブロックだから前の方だと思ってたら、なんとAだけでも500人くらいいる!

しかも大便が長すぎて一番後ろだ!やばい!

そしたら俺に気づいたランナーの方達が

「猫ちゃん、前いきな!」「猫だ!猫だ!」

とみんな前に行かせてくれてなんと、前から2列目まで行かせてくれた!

本当に皆さんありがとうございます。みんなスタート前でピリピリしてるだろうに本当にありがとう。

そしていよいよスタート!

一週間前に5キロ走やって、16分35秒の自己新出たからそれを中島コーチに伝えたら、

「2時間38分代で行けるよ。5キロ18分45〜50秒で行ってください」と


言われた。そして谷川真理さんからは、

「1キロ3分45秒ペースがゆっくりに感じるよ」と言われたけど、


今までそんな速いペースでフルマラソンは、走ったことはないからひろしイチモツの不安。

でも今まで練習で、それこそ彼氏彼女以上に練習メニューをメールでやりとりして、
東京マラソンに向けて一生懸命にやってくれた俺のランニングのコーチでハイテク塾代表中島さんの言ったことをもう遂行するだけだ。


槍が降っても飴が降ってきても、ランションランプン(たびたび下品ですみません)が出そうになっても練習メニューとペース配分を作ってくれた中島コーチの言われたペースで行くだけ。

その今までにない未知のペースでもし潰れたら、芸人ランニャーなんだから
「猫がタイムに踏まれたニャー」
とかにゃんとか言っとけばいい。とにかく覚悟決めてのスタート!


俺の中での恒例行事スタートダッシュしながら「ニャー」をやって、
あとはペース落として、下りがあろうと登りがあろと体調良くても5キロを18分45秒〜50秒で行く。

ネタの衣装で走ってる俺は、目立つから周りに他のランナーの方も加わって20人位の集団で走る。

その20人の集団がみんな1キロ3分45秒ペースで走ってるから凄まじい。

走りながら何人かのランナーの方に話しかけたら1人の方が

「猫ちゃん、目標タイムいっしょくらいだからおれがひっぱってあげるよ」

と言ってくれた。オージーザス!

その人と話ながら走る。1人だとストイックになっちゃうから良かった。本当にありがとうございます!


最高の天候も手伝ってか谷川さんが言われていたように、1キロ3分45秒のペースがゆっくりに感じる。
でも焦らずほぼ同じペースでタイムを刻む。

給水も5キロづつ全部取って、他に走りながらバナナも全部食べて、
21キロ地点では、後輩の魔法使い太郎ちゃんからゼリーも受け取り走る。

すごい気持ち良く走れた!途中、疲れがでてきそうになったら、周りの景色に目をやり

「景色が気持ちいいニャー」と

大声で言ってリラックス。

沿道の方や寒いのにずっとマラソンのお手伝いをしてくれているボランティアスタッフの方からも沢山声かけられて走ってて楽しかった!ありがとうございます。


どんどん距離を踏んでいって

「マラソンは、30キロを過ぎてから」

の言葉通り、20人いた集団が1人減り2人減りいつの間にか3〜4人になってた!

俺を引っ張ってくれていた方も丁寧に

「猫ちゃん、俺ペース落とすから先行ってくれ」

ってわざわざ言ってくれた。ありがとう!

35キロ過ぎた辺りからいつも通り足がきつくなってきたけど、タイムは落ちてないのでそのまま走る。

3人になった集団のランナーの方に

「絶対2時間40分切ってやりましょう!ニャー!」

「ニャー!」

と最後は他のランナーも気合いの

「ニャー」

一番きつい佃大橋もタイム落とさずに渡れた!あと少し!

39キロ辺りからまた谷川さんに言われた事を思い出す


「もしずっとイーブンペースで行けて、最後力が残ってたら40キロからスパートかけて」
みたい事言われたので、ラスト2キロ、豊洲辺りからラストスパート!

今まで一緒に走ってたランナーの方もびっくりして


「あ〜〜〜!」って言ってた!

一緒にゴールしようって言って、ゴールしなかった校内のマラソン大会パターンよろしく、とにかく猛ダッシュで走る!

豊洲辺りは近所で、何回も走ってたからすごい気持ち的に安心できた!

そしていつもなら疲れるのに

ハイテク塾の低酸素室でバンバンに走って、マリノ、カンド君で骨盤を大きく使って走る練習したのが良かった。

あと去年夏から導入した加圧トレーニングでいつもなら疲れて乳酸がたまるのに、
加圧のおかげで乳酸がたまりにくくなって足がパンパンじゃなくて、バンバンにうごいた!

多分低酸素室と加圧トレーニングは、もっと見直されるな。
だって俺、加圧トレーニングしてから9キロ痩せたし、実際にタイムがめちゃくちゃのびてるから

ハイテク塾と加圧トレーニング「DEUX」のおかげだ。
中島コーチ、谷川さん、伊藤先生、そして鬼のスピード練習で何回も引っ張ってくれた城西大の平塚先生(40歳こえてるのにゃにゃんと現役大学生ランナーに紛れて東京マラソン2時間30分切ってのゴール!)と城西大の武田君に大感謝!

とにかくおじさんラスト2キロ足が軽くて、40キロからゴールまでのラップタイムが一番速かった!

ゴーーーーーール!!

走り終わってみたら自己ベストの

2時間37分43秒!!

一年で18分、

4カ月で12分速くなってる!

俺のインド式単純計算で行くと2年後には世界新記録が出る!




ゴールしてからもギャグできる体力あったしな。

練習一生懸命やったからだろうけど、何がどうなってこんなに良いタイム出せたんだろう?予定タイムより一分速かった。

神保町のマラソンジム

「ハイテク塾」



自由が丘の加圧トレーニングジム「DEUX」さまさまだ。足向けて寝れないよ。本当にありがとうございます。

全部だしつくすつもりのラストスパートだったけどゴールしてからいつも以上に余裕あって新ギャグ

ビーチクさわりながらの

「あ〜〜柴漬け食べたい…。」


がいつも以上にすごい反応になってた。



走っているときに応援してくれた方、

ブログ、ツィッターに沢山の応援メール、終わってからの応援メール、
それからスタート地点でウンコして遅刻した俺を先頭まで行かせてくれたあったかい皆様、
一緒に集団で走った皆様、そして寒い中ずっと東京マラソンでボランティアスタッフをやっていた皆様、

魔法使い太郎ちゃん、カールボッチ、そこのあなた、冬のソナタ、紳士服のコナカ、青木、青山本当にありがとうございましたにゃ〜!




いよいよカンボジア人の足音が近づいてきた、おじさんもう一踏ん張り頑張ろう!

あと福岡国際マラソンの切符も手にできたのでスケジュールあったら、いつもの衣装で頑張ります!


とにかく可能性信じて楽しく頑張ろう!



東京マラソン2011
開催日(Date):2011/02/27

ニャンバー(Bib number):10467
氏名(Name):猫 ひろし
種目(Category):マラソン男子


地点名
Point スプリット (ネットタイム)
Split (Net Time) ラップ
Lap 通過時間
Time
5km 00:18:49 (0:18:43) 0:18:43 09:28:49
10km 00:37:35 (0:37:29) 0:18:46 09:47:35
15km 00:56:25 (0:56:19) 0:18:50 10:06:25
20km 01:15:13 (1:15:07) 0:18:48 10:25:13
25km 01:34:05 (1:33:59) 0:18:52 10:44:05
30km 01:52:49 (1:52:43) 0:18:44 11:02:49
35km 02:11:22 (2:11:16) 0:18:33 11:21:22
40km 02:29:52 (2:29:46) 0:18:30 11:39:52
Finish 02:37:49 (2:37:43) 0:07:57 11:47:49


posted by 猫ひろし at 20:01| Comment(16) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

【タキザキ坊ちゃん物語】




親譲りの低い背丈(父親149cm・母親148cm・オレ147cm)で子供のときから損ばかりしている。

それでも小学校2年生くらいまでは「なんてかわいいお坊ちゃんかしら・・・」と近所で評判のかわいい男の子だった。




その評判が崩壊し始めたのが、小学3年の時。
背丈は相変わらず小さいのに、急速に顔だけが進化し、日ごとに老け始めるという珍現象。

昨年話題となった映画、ブラッド・ピット主演の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』とはまったく逆の「数奇な人生」。
つまり、「かわいいお坊ちゃん」から「かわいそうな“とっちゃん坊や”」となったのだ。



「若いときの老け顔は、年取るといい感じなオトナ顔になる」
という通説を信じてみたが、
その後、中学〜高校とついたあだ名が「ハナ毛」とか「アブラ」とか、あまりにもストレートすぎるマイナス容姿の代名詞。
この低い背丈についてる老け顔とは、切りたくても切れない運命共同体のツンデレラコンプレックスな青春時代。

どれくらい老け顔だったかと言うと、高校の時行った床屋が、ことごとく「学割」してくれないくらいの見た目が老け顔。
床屋の第一声は、「今日はお仕事お休みですか?・・・・・・」と、完璧に有給休暇のサラリーマン扱い。
それでも意地で「学割訪ねて三千里」、自転車こいで1時間の隣町の床屋まで行ったが、「学割」されなかった老け顔の青春時代。

それでも青春時代に付き物の、しょっぱい恋話(略して、ショコバナシ)は数知れず。


その毎度バカバカしくも、童貞特有の白く濁ったショコバナシを一席。




中学の時に好きになった女の子。
目をつける女の子は、クラスで一番二番の人気の子ではなく、存在は微妙だが、なんかちょっと影があるちょっとかわいい女の子。
その子となんとかきっかけ作るために、犬の散歩を装って、遠く離れたその子の家の近所をうろうろしていた。
毎日毎日、雨の日も風の日も、そして犬も杓子も・・・
と言いたいところだが、毎日訳もわからず遠くまで引きづり廻されてる犬はたまったもんじゃない。

犬はへとへとになって、ついには歩くのを拒み、しかたなくその犬を背負って歩いた哀しい夜空の向こうの帰り道。
小さい老け顔の中学生が、犬を背負って歩いてるって、いったいどんな「楢山節考」にゃんだ。
それならつまり背負ってた犬は“緒方犬”だった。

その女の子とは「猫ひろし」となってから、テレビの番組企画で再会した。
その子が初めて明かした当時の印象は、
「マラソンが早くて、犬の散歩をしてた人」
わかりやすいくらい大雑把なつかみ方のどうでも良い存在な記憶だった…。





高校の時、健康ランドの厨房で皿洗いのバイトをした。
その頃のオレは、客から「不法就労のイラン人」と間違えられるくらいのアブラギッシュな怪しい顔。
そのバイト先の同僚の女の子を好きになった。
その子もまた、存在は微妙だが、なんかちょっと影があるちょっとかわいい女の子。

この胸のときめきを伝える為に、その子の自宅に電話することになった。
どうやってその電話番号を調べたかと言うと、バイト先の事務所にあった名簿を、引き出しから探して盗み読みしたのだ。
昔からこういう事にはかなり頭が廻っていた。悪事偏差値85はあったはずだ。

そんなオレは漫画から学んだ恋愛テクニックを実践することにした。
「告白する時は、何かプレゼントをしよう!」
と書いてあった・・・かどうかは、とにかくそう勝手にそう理解した。(これでイケル!)
そこのバイト先の忘年会があった帰りに、友達に付き合ってもらって、ついに彼女に告白。
バイブル通りに、その子に渡したのが修学旅行先の京都で買った新撰組のマグカップ。

「京都→新撰組→マグカップ→告白→カップル誕生!」
我ながら成功の方程式は完璧・・・・のつもりだったが、

「いらない・・・・・・・」
と投げ返されたマグカップは、オレの頭に命中し、こなごなに砕け散ったブロークンハート。
気まずいカンケイになったその子に、以前貸したCDがTRFの「サバイバルダンス」。
まさにオレの恋愛がサバイバルダンスそのものだった。そして小室ファミリー崩壊そのものだった。

高校3年の時に好きになった同級生の子。
もちろん方程式通りの影のある女の子。
公園に呼び出して告白することにした。
事前情報で友達が言うには「なんか脈アリ。あっちもうれしそうだぞ・・・」とのこと。
(よっしゃぁ〜〜〜勝ちが見えた!)
そして、その子が公園にやってきた。

待ってるオレとその子、目〜と〜目で〜〜通じ合った・・・無言色っぽく、ないない、にゃい・・・。
その告白するのがオレだとわかると、一転して、緊急に落胆の表情。
それで俵に足がかかっていても「付き合ってください」と告白したオレ、
その子は容赦なく、「いや!」と決まり手。

しかし巳年の執念深さを発揮して、ほとんど両足は俵の外に出てるところで、
「なら友達として・・・」とオレ、
ほとんど勝負ついてるのに、その子も負けじと「友達もダメ!」と、とどめを刺してきた。
また失恋レストラン、「ヘイ、マスター、涙流す激辛カレー大盛りで・・・やっぱ中辛でいいや。」

そして初めての大学受験に失敗して、暗い浪人生活が始まると思いきや、
そんな微妙な時に立ち直りだけが早いオレは、新しい好きな子に告白したらにゃにゃにゃんとOKをもらって、逆転のバラ色の浪人生活が待ってる。
ところが、なんせ初めてのカノジョ(?)なので、フツウに会話が続かずなんかギクシャク。
このふたりのおもしろくもなんともないあやふやなカンケイを、カノジョに電話で再確認した。
「予備校どこにするの?」
「東進・・・」
「え〜偶然だね、オレも東進!」 (男らしく以上!、会話終わり)

その子は、同校であるはずなのに1年間顔を合わすことがなかった。
つまりオレと会うのが嫌という理由だけで予備校を変えていたのだ。
結局、自然消滅と言うか、初めから何もなかったのだ。

まあそれでもスーパー立ち直りの早いオレは、
予備校の同級生に、いつものオレの方程式にピッタリの子を見つけて告白。
そしたら、「う・・うん・・・」と言ってくれた。控えめな返事がかわいい〜やったぁ〜〜〜。

次の日、カノジョ(?)は、廊下で会っても、目を合わそうとせず、話しかけても完璧スルー。
さらに話しかけても、体ごとよけて、さらに追えばまたよけて、小学校のドッヂボール状態。

(そっか、きっと皆の前では恥かしいんだな。可愛いいハニーだ)

と、オレは帰りにカノジョを待ち合わせと言うか待ち伏せしてた。
すると校内放送で 「キンコンカンコ〜ン、最近学校の周囲に背の低い怪しい不審者が出没していますのでご注意ください」
下校するやつらからの冷たい視線ベクトルを浴びた、つまりその「背の低い怪しい不審者」とはどうやらオレのことだった。

その子はそれからしばらくの間、両親を伴って予備校に登校していた。
友人に確認の探りを入れさして、その報告によると、オレが告白した時カノジョが「う・・うん・・・」と言ったのは、
単にオレが怖くて、断ったら何かレイプでもされそうだったという恐怖心からの返事だった。

「あ〜〜とにかくカノジョ作るには大学生になるしかないな・・・・」
一浪して大学に入学した。バラ色のキャンパスライフが始ま・・・るはずが、
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来て、そしてまた春が来て、
毎日毎日妄想三昧、青春童貞人生は延々続いていた。

類は友を呼ぶもので、同じ寮の仲間も思いっきり童貞だった。
オナじ童貞同士で同盟を組んでいた。やはり大切なのは固い絆の友達だ。

そんなある日そいつが「オレ彼女ができたんだ・・・・」
とカミングアウトしてきた・・・・・・・・「彼女ができた=童貞卒業」と暗黙の了解。

許せん。
このオレがまだ童貞だと言うのに、こいつはもうアレを知ってるのか・・・・。憎しみ。

毎日、自転車登校してたオレたちだったから、次の日そいつが前を走ってた時に、
本気で、本気で、本気で、そいつの以前とは比べられないほど大きくなったでかく背中に石を投げてやろうと怒りがこみ上げてきた。


それでも遅ればせながらオレの童貞喪失は、
引越しの手伝いをしてやった御礼におごってもらった吉原のソープランド。
ロマンチックも何もないただただ童貞ではなくなっただけのこと。

それからというもの、オレは目覚めた、風俗に目覚めた・・・・・・・。
正確には、金回りの良い友人のおごりで行く風俗通いに目覚めたのであった。
なんてすばらしい楽園がこの世にあったんだろう。

ある時、風俗街の呼び込みの「4000円ポッキリ」の売り文句に釣られて友人と入ったら、
個室に入れられ、裸かと思ってたら思い切り服着た風俗嬢が入ってきて、「追加払えば脱ぐけどどうする・・・」
と言われ、つまりボラれてるのだが、どうせおごりだからと追加追加で脱がして、やっと手だけでしてもらった。

そこに連れがいきなり入ってきて、「おまえいい加減にしろ、金払うの誰だと思ってんだ!死ね〜!」と。
まあしかし、後のまつりだ・・・まさに「プレイ後のタケノコ」。


あれから時は流れ、2009年春、今ではおもいっきりひと皮ムケてるオトナのこのオレから、
新入学生、新社会人諸君(特にあの頃のオレみたいなD.T.しょくんに)に言いたいことがある。

童貞であろうがなかろうが、

そんなの別に“どう〜〜ってぃ”ことないよ。

それより、人生のチン生の中で、肝心かなめチンチンなめなめなのは、



迷わずムケよ。


ムケばわかるさ。

(おわり)



posted by 猫ひろし at 12:58| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

【ベリーポーツマス!ミスタージェンキンス!】


前略、チャールズ・ロバート・ジェンキンスさん お元気にポーツマスでしょうか。

私、キャットひろしも元気にポーツマスしております。

私がジェンキンスさんと初めてお会いしたのは、2年前の、
2007年3月3日(偶然にも、おひなまつり)のお昼の東京駅でしたね。

私が駅のホームで上越新幹線を待っていると、当時付き人をしてくれてたジジぶぅさんが、
「ジェ、ジェ、ジェンキンスさんがいますよ!」
と、入れ歯が外れそうなくらい興奮した様子で言いました。

普段ウソばかりつく虚言癖のあるジジぶぅさんの言うことだからと、
私も半信半疑、いや、ほとんど疑いの目で見ると、
「うわぁ!ホンモノのジェンキンスだ!(初めてだったので、呼び捨てで失礼します)」

私はジェンキンスさんになんとかお近づきになりたくて、でも何と言って良いのか?

「いつもテレビで見てますよ・・・・」違う!違う!

「がんばってくださいね・・・」これも違うと悩みました。

そんな時に家庭の役に立つのが年の功のジジぶぅさんでした。
ジジぶぅさんにジェンキンスさんへのきっかけの橋渡し役を頼むと、
さすが普段からブゥ〜ブゥ〜し〜ジジぶぅさんでしたから、
すぐにジェンキンスさんに古くからの友人のように話しかけていました。

それを確認した私も加わり、短い時間でしたがお互い記念写真を撮らせていただきました。

しかし当然、ジェンキンスさんは私、猫ひろしのことはご存知ではありませんでした。

同行の通訳の方は、猫ひろしのことをご存知だったようでしたが、
その時のジェンキンスさんは猫ひろしにはさほど関心は示されませんでした。

ところが佐渡島にご帰宅され、昼間に猫ひろしという小男と遭遇したことを娘さんのブリンダさんに話されたところ、
にゃんとブリンダさんが猫ひろしのファンだったとのことで、
それならそうと、パパとしては意外にミーハーなジェンキンスさんは、
猫ひろしとの写真を、ご自身のケータイ待ち受けにされたのでした。




それから数週間後のこと、フジテレビのお堅い番組「スーパーニュース」のスタッフが、

ジェンキンスさん特集の取材に行った時のことでした。
取材中ジェンキンスさんのケータイが鳴り、スタッフがふと見ると、
そのケータイ待ち受け画像がニャンと、

「東京駅だわ〜 ジェンキンスさんと、猫ひろしと、年寄りジジぶぅ」

であったと言う、ニャンとも笑えるサイドストーリーでした。

真面目なジェンキンスさんのホットでキャットな余談として、その“猫つながり”が買われ、
急遽スーパーニュース取材班が事実関係を確かめに、猫ひろしのもとへ取材に来ました。



そして放映された番組を見ると、
番組とCMのまたぎで、ジェンキンスさん報道の映像が流れる中、テロップで、
画面右に「ニャーぜか猫さんと!」
画面左には「最後の脱走兵の反論」
と見方によっては、完全な脱北兵にも見える猫ひろしであったのでした。

真面目な報道番組でしたので、報道後のスタジオでのキャスターのコメントでは「猫ひろし」のことは一切ふれられず。
ある意味その時間はすごいシュールな報道番組になっていました。

ちなみにそのオンエアの後、フジテレビに「なんだあの猫は!」「猫の手も借りたのか!」とか苦情が殺到したとか、しないとか・・・・。


これで公にジェンキンスさんとの関係がもてた猫ひろしは、ジェンキンスさんとさらなる友好条約を結ぶ為、
完全プライベートで、新潟県佐渡島にお住まいのジェンキンスさんに会いに行くことにしたのです。

さりとてネコもコネもなく、独自の下調べの結果、ジェンキンスさんは昼間は「佐渡歴史資料博物館」にいらっしゃり、
しかも火曜日以外の週六を9時〜6時でガッツリ働いていらっしゃることが判明しました(2007年当時)。

その数少ない情報だけを頼りに、ただただジェンキンスさんにもう一度会いたくて、
2007年6月11日、新潟港から、ニャーフェリーに乗り、マリリンに会いたいよろしく、佐渡島に渡った猫ひろしでした。

佐渡に渡ると、唯一の情報である「佐渡歴史資料博物館」に猫まっしぐらに訪れ、
そこのメインコーナーである展示資料コーナーに行きました・・・・・・・・・が、
そこにはジェンキンスさんのお姿はありませんでした。
やはり突然アポなしで会いに行ったのが失策だったか・・・・

そこで猫は途方に暮れました・・・・

が、気持ちの切り替えが早漏な猫ひろしは、
「まあ〜せっかく東京からはるばる佐渡島まで来たので、嫁に佐渡みやげの「おけさ人形」でも買って帰ろう〜」
と、 すっかり観光客気分で館内にある売店コーナーに行きました。



そこで私が見つけた佐渡名物のおみやげは・・・・・

いやおみやげではなく、ニャ〜〜〜んと、

おみやげを売るチャールズ・ロバート・ジェンキンスさんだったのでした。

やったぁ〜〜〜〜再会できましたニャ〜〜〜!
ゴーーール!!

私はすぐにジェンキンスさんに猫足で歩み寄り、その節のお礼と再会のごあいさつをして、
私は東京で買ってきたジェンキンスさんへのプレゼントの包みをお渡ししました。
ジェンキンスさんは、その包みを開けるとたいそう喜ばれました。
中身は、ジェンキンスさんの大好物であるカステラと、
にゃんと雑誌「Mr.バイク」の2006年11月号の表紙も飾られたバイク好きのジェンキンスさんですので、
オートバイのプラモデルも入れておきました。
どちらも事前にリサーチした、「笑い」のウケを狙わないまさに安定感のあるプレゼントでした。


ここのおみやげコーナーがジェンキンスさんのご担当でした。
私は売店で佐渡島名物「太鼓番せんべい」を、縁起かつぎに末広がりの8個・・・は予算がなく、ラッキー7の7個買いました。
私が商品を7個取ると、その空いたスペースに、新たな「太鼓番せんべい」を7個即補充するジェンキンスさんの手際の良さ。
今の日本人が失いつつある勤勉さを感じました。
この「太鼓番せんべい」のパッケージにはブルーリボンが貼ってあり、
売り上げの2%が拉致被害者支援のために使われると言うことでした。

私はジェンキンスさんと再会の記念撮影をして、ジェンキンスさんの執筆本にサインをお願いすると、
「To Cat Hiroshi san 」
と、和洋折衷なサインを書いていただき、キャットひろし感激〜〜〜!



これで今回の任務完了・・・・


ではありませんでした、これから猫ひろし本来の友好の交渉術として
ジェンキンスさんの前でネタ見せを披露いたしました。

館内の応接室にあるシートに座られたジェンキンスさんは、
「ホワッツマイケル?いったい何が始まるんだ・・・」と不思議そうな顔をされてました。

そして衣装に着替えた猫ひろしが登場〜

「猫ひろしのギャグ100連発〜〜!」

いつものギャグの炸裂・・・・しかし、NO反応NO笑いのジェンキンスさん。

そもそも日本人ですと、ネタの意味はわからずとも、叫んでる言葉だけは通じるギャグ100連発も、
ウィットにとんだアメリカンジョークの本場であるアメリカ生まれのジェンキンスさん、さらに言葉の壁もあり、完全にアウェイ。

崖の上の猫ひろし、しまいには、場をわきまえず、
「お国のためにワイハーに行ってきます!恥ずかしながら帰ってまいりました・・・
敵軍は何機だ?・・・一揆!一揆!」

・・・それもだめなら、これしかニャイと、よりによってその場では禁じ手である

「ノドン、テポドン、松屋の牛丼!は〜良かった。」

これをやって完全にすべった猫ひろし・・・・・・・・。

もうこれでサムライも力つきたかと思われ、苦しまぎれに出した下ネタ・・・・

ニャんとこれがクリーンヒット!
海パン脱いで、股間の子猫ちゃんを見せたら、ジェンキンスさんはまさかの大笑い。

「下ネタに国境も、東も西も北も南もなかったんです。」


大笑いしたジェンキンスさんと、最後にふたり仲良く
「ポーツマス!ポーツマス!」
のギャグをやって、ついにジェンキンスさんと猫ひろしの歴史的な
【ポーツマス条約】が締結となりました。

そのあとに、ジェンキンスさん愛用のバイクを見せていただき、
見るだけでなく、運転するジェンキンスさんの後ろのシートにまたがった猫ひろしでした。

ジェンキンスさんはアクセルを吹かし、初夏の佐渡の町の中を、風を切って走り出したバイク。

私はジェンキンスさんの腰に手を廻し、加速するジェンキンスさんにしっかりつかまっていました。


「来て良かった、ジェンキンスさんに会いに来て良かった・・・・」
ジェンキンスさんにしがみつきながら、私はそう何度もつぶやきました。


そしてお別れする時間となり、バイクから降りて、お礼を言いました。

ジェンキンスさんは、再びバイクを走らせ、ご家族の待つ家に帰って行かれます。

佐渡島の夕陽に向かってバイクを走らすジェンキスさんに私は手を振り続けました。

そしてその走り行くジェンキンスさんの背中に向かって、私は思わず大きな声で叫びました・・・・

「ジェ〜〜〜ンキ〜〜〜ンス!」



バイクが止まった、

しかし振り返らないジェンキンスさん・・・・・私はもう一度叫びました


「ベリ〜〜ポ〜ツマス!ミスタージェンキンス!」

(ここでエンディング曲♪戦メリのテーマ)


するとジェンキンスさんは、こちらに背を向けたまま、両手を上下にさげ、「ポーツマス!」の振りを返してくれました。

そして再びアクセルを吹かし、佐渡の夕陽に向かって走り去って行きました。

私はそこに残された夕陽を眺めながら、

「ジェンキンスさんとご家族が幸せでありますように、そして拉致被害者の方々が絶対に無事で帰って来れますように。」
と祈りました。


そしてとてもきれいな夕陽をずっとずっとそこで眺めてました・・・・・。

(ほんとは、帰りの船の時間がせまり、あわてて港に向かいました)


それから毎年ジェンキンスさんから届く年賀状を楽しみにしております。

ジェンキンスさんありがとう!
これからもご家族皆さんお元気で、ベリーポーツマスなジェンキンスさんでありますように。  草々



追伸:初めて東京駅でお会いした時、ジェンキンスさんにブゥ〜ブゥ〜しく話しかけたジジぶぅさんも、
なんとかかんとか、かくかくしかジジなみに生きております。


2009年 4月 キャットひろしより




posted by 猫ひろし at 12:09| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

【マンガ(のような)日本“ジョニー大蔵大臣”昔話】




♪坊や〜〜〜〜〜良い子だ〜〜〜〜インドシナ〜〜〜〜!

【マンガ(のような)日本“ジョニー大蔵大臣”昔話】


(声の出演:市原悦子と常田富士男 みたいな感じで読んでください)


むか〜し、むか〜〜し〜〜と言っても、2003年頃、都内のあるところに、舞台でスキャンティ一枚の小さな男の芸人がおったそうな〜〜。
その男は、芸人になりたてでまだまだ無名だった猫ひろしという小男であったそうな〜〜。


ある日、その猫ひろしが新宿を歩いていると、
「猫ひろしさんですよね?」と、挙動不審な目つきの男から声をかけられたそうな〜〜。


猫ひろしは、(テレビとか出てないのに何でオレを知ってるんだろう?)と思っていると、その男は
「この間の鳥肌実さんとのライブ見ましたよ、すごい面白かったですよ」
と言い、さらに、調子に乗って猫ひろしのネタのダメ出しとかし始め、猫は(何だこいつ?!このインチキホモ野郎!)と思ってると、
男はまたさらに「他のネタも見たけど、あのネタはどこかリズムが悪いとか・・・・・うんぬん・・・う〜ん」とか言いたい放題であったとかなかったとかそうな〜〜。

猫ひろしは口では「あー、そうですか・・・・ありがとうございます。」と言いましたが、内心では(こいつ殴ってやろうか!このインチキホモ野郎!)と思いながら、
「また会いましょう」と言って2度と会いたくない気持ちいっぱいで別れたそうな〜〜。


その男は、とにかく気持ち悪い男だったそうな〜〜。


それから数日後、なべやかんさんの大晦日のライブで、ライブハウスの電話が鳴り、たまたまそこにいた猫ひろしが出ると、
客らしき男の声で「猫ひろしさんの出演時間はいつですか?」と聞いてきたので、
「あ、僕、その猫ひろし本人なんですけど・・・年越しの12時ぐらいに出ますよ」と教えたのだったそうな〜〜。

その電話の相手は、新宿で声をかけてきたあの気持ちの悪い男であったそうな〜〜。

その男は、今度はまた渋谷のライブハウスにも出没したそうな〜〜。
その時、その男は自作のCDを持って、猫に 
「僕、水中、それは苦しいってバンドのジョニー大蔵大臣って言うんです」
と、初めて自己紹介をしてきたそうな〜〜。

猫ひろしは、(こいつ気持ち悪い・・・ますます気持ち悪くて変な名前だ。このインチキホモ野郎!)と思ったそうな〜〜。
とにかく第一印象から自己紹介まで気持ち悪かったそうな〜〜。
ジョニーは猫に「CD聴いてください」と自作のCDを手渡してきたそうな〜〜。
そのCDの帯には、“明和電機”さんと“みうらじゅん”さんが推薦文を書いていたので、
(このインチキホモ野郎すごいやつなのかな?)と、猫は一瞬思ったが、
曲名を見たら「もげもげ先輩」とか「ガッツいちもつ」とか、「これ、ダジャレじゃねぇかよ!このインチキホモ野郎」と、思い直したそうな〜〜。
それでも何か感じるものがあり「一度は聴いてみよう」と思ったそうな〜〜。

その頃、早朝6時からバイトしていた猫は、朝5時半のまだ日が昇る前の暗い頃からウォークマンを聴きながら、バイト先に通勤していたそうな〜〜。
そこで、もらったジョニーの自作CDを聴いてみると、30分の道のりが気持ち悪くなってしまったそうな〜〜。
歌詞が「おじいちゃん!それおばあちゃんじゃないよ!」とか、朝からそんなの聴いてて嫌だな〜っこのインチキホモ野郎!て思ったそうな〜〜。


ところが、まだ引っかかる何かを感じていた猫は、ジョニーのライブを見に行ったそうな〜〜、
独りでステージに立って絶叫してたジョ二ー大蔵大臣。
(あの気持ちの悪い男が・・・・・)それがすごいかっこよかったそうな〜〜。
それから、猫は次第にジョ二ーとの親交を深めていったそうな〜〜。

ジョニーがメンバーに犬、猿、きじではなく、バイオリンを探していると聞くと、
猫は以前から、「ねこ繋がりでメール交換しましょうよ」と、バイオリニストの斎藤ねこさんと知り合いだったので、
ジョニーに「斎藤ねこさんは若い人とやるの好きだから・・・」と、ねこさんの知り合いの中で一番すごいバイオリニストを紹介してもらったそうな〜〜。
それが現在の「水中、〜」のバイオリニスト、パスタ林三であったそうな〜〜。


ジョニーは、他人のイベント打ち上げの席に必ず自分のギターを持参し現われ、
その席で勝手にギターをかき鳴らしながら絶叫して、参加者たちから怒りを買っていたそうな〜〜。



また、銀杏BOYZのライブ会場の外でも、勝手にギターをかき鳴らしながら絶叫して、会場スタッフの怒りを買っていたが、
その日の主役の峯田くんのケータイには「ジョニーさんの出番は何時ごろですか?」との問い合わせも来たりしていたそうな〜〜。


2004年の秋、猫ひろしとジョニー大蔵大臣のふたりは、早稲田大学の学園祭に“勝手に”出演することを計画したそうな〜〜。
呼ばれてもいないのに、勝ってにだった・・・・。その理由は、
「早稲田大の学園祭に出演したら翌年ブレイクする!」
と言う根も葉もないジンクスを、根も葉もなくても「早稲田大学卒業」と言う学歴はあるジョニーがどこからか仕入れてきた情報からだったそうな〜〜。
これまた“猫のくせに鵜呑み”にした猫は、ジョニーといっしょに、早稲田大学学園祭会場にてゲリラライブを行ったそうな〜〜。

「どうせやるなら、早稲田大のシンボル、大隈重信像の前で!」
と言うことで、大隈像の前で、猫ひろしは全裸になって騒いでいたら、事前通報を受けていた学生側の警備員たちに取り押さえられ、
70年代安保闘争を彷彿させる小競り合いをしていたそうな〜〜。
事前通報をしていたのは、早稲田大OBのジョニー大蔵大臣の内部通報で、
ゲリラなのに事前告知をHPでするという、ジョニーの常識ハズレの失策であったそうな〜〜。

その必死の小競り合いの現場に偶然通りかかったのが、(その日の学祭正式招待ゲストの)リリー・フランキーさんだったそうな〜〜。
猫とジョニーを知るリリーさんは、全裸で暴れる猫を面白がって、その日の学祭の自分のステージ上に招いてくれたのだったそうな〜〜。

手段はどうであれ念願の早稲田の学園祭への出演を果たした猫ひろしであったそうな〜〜。




そして猫ひろしは、なんと翌年ホントに間違ってブレイクして、
2005年の早稲田大の学祭に正式に招かれたのであったそうな〜〜。

ジンクスはほんとうであったそうな〜〜。


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めでたし、中出し!




そんな、猫ひろし と ジョニー大蔵大臣(水中、それは苦しい)のインターネットTV!!!


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posted by 猫ひろし at 11:36| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

【ガッポリ伝説】

今日は、俺の身近な愛すべき芸人ガッポリ建設さんについて書きたいと思います。

かれこれ6年位前、「地蔵寄席」と言う変な名前のライブに出演した。
地蔵の名の如く、会場は「お年寄りの原宿」と言われる巣鴨の地蔵通りだった。


そのライブに、ランニングシャツに、建設作業着のニッカボッカを履いた、やたら声と態度と、そして見た目のデカイ二人組みのおじさんがいた。

ライブ開演前、観客がまったくいないと言うことで、そのデカイおじさん二人は客引きに地蔵通りへと飛び出した。
お年寄りばかりが賑わってる地蔵通りに、とても不似合いなヘルメットかぶった、ランニングとニッカボッカの大男。
そんなストレートすぎる「オレオレ詐欺」に引っかかるお客さんは当然いるはずもなく、結局、お客ひとりのライブとなった。

その当時、スキャンティー一枚でネタをやってた俺と、ランニングとニッカボッカのふたりのおじさんたちは、
どこか合い通じるものを感じ親しくなった、そのおじさんふたりが言うには、


「ワハハは、ネタ見せをやってて変わり者がうかるらしいぞ・・・」

と言われるがままに、新人だった俺と、ランニングにニッカボッカのベテランん2人組は、
時期を同じくワハハ本舗に所属した。

これが、今や「平成楽屋真打ち」と言われている「ガッポリ建設(敬称略)」と、
俺猫ひろしの出会いだった。



それからと言うもの、俺とガッポリ建設は、
職内に行くのも、お金持ちにヨイショするのも、
そしてお金持ちから、おひねりとお車代をもらうのも苦楽をともにした。

とにかくガッポリ建設はとてつもなく強烈だっだ。

「栃木出身です!」と嘘の経歴を平気で使い、栃木の某テレビ局で番組のレギュラーを持つも、
朝のさわやかな番組で、いきなり脇の下を出し、
♪キレイに〜〜〜なった〜〜〜〜〜!
と唄い、なごり雪も降らないまま、1ヶ月で番組を降ろされたり、

ヤミ営業先で、♪翼をください というネタをやって、ネタの背中だけでなく、ケツまで蹴られて
おひねりを2万円もらう執念・・・

パチンコ屋の営業に行ったら、ネタ以外に、そのパチンコ屋でせっせとホールスタッフ以上の仕事をこなし、
それでもらったギャラが1万円と、だったら、正社員になった方がいいだろっという仕事?だったり、

24時間テレビでの、芸人100組の勝ち抜きバトルにて、間違ってみごと優勝して、武道館でサライを歌ったが、
番組中のクイズで、「サライの意味は?」という問題に、「人サライ」と答え、大問題を起こしたりと、



「ガッポリ建設」コンビ名もかなり胡散臭い。

そもそもこのおふたりは、元々落語家のお弟子さんだったけど、歴史と伝統と、縦社会を重んじる落語家の世界では、
やることなすこと反感を買っていた。

落語家を引退してから、お笑いコンビとして「ガッポリ建設」になったけど、落語家時代のふたりの悪名を知る落語関係者からは敬遠されている
しかし楽屋芸人としては名人になっている。

このふたりの私生活がこれまた対照的で、
肩書きが「ガッポリ建設部長」の小堀さんは、今でも北千住の4畳半トイレ無しのアパートに、独りで住んでいる。


しかし、肩書きが「ガッポリ建設主任」の室田さんは、品川のマンションに住み、車やお嫁さんさえも所有している。
この室田夫妻は、あるテレビ番組に出演した時、カメラの前でディープキスをしてみせた・・・と言う、かなりな夫婦である。


さらに、最近では「ガッポリ建設」は、弟子までかかえている。それが、

一番弟子 魔法使い太郎ちゃん  二番弟子 ポンちゃん人形  三番弟子 ☆ぴょんぴょん☆
と言う、、体のでかい弟子たちだ。


その芸歴16年のガッポリ建設が、ココ最近生み出した究極のネタが、
「パンダーズ」と言う、動物園のジャイアントパンダになりきって、
ただ横になっているだけというネタだ。

ちなみにそのくだらないネタを見た、宇都宮動物園から「子供に人気が出そうだから」という理由で営業の仕事が来た。

パンダを中国語で「熊猫」と書くから、
オレが「小猫」で、ガッポリ建設は「大熊猫」だ。


いつの日か、国民的大熊猫になってください。




「ガッポリ建設」公式プロフィール

☆小堀 敏夫 (こぼり としお、1972年7月10日 - ) 群馬県出身。
肩書きは「ガッポリ建設部長」。
身長177cm、体重78kg、O型。
1992年に3代目三遊亭圓丈に入門し、「三遊亭ぐん丈」の高座名を名乗っていた。

☆室田 稔(むろた みのる、1976年1月29日 - ) 栃木県出身。
肩書きは「ガッポリ建設主任」。
身長185.5cm、体重88kg、A型。
5代目鈴々舎馬風に入門し、「鈴々舎たけ馬」「鈴々舎馬賀」「鈴々舎馬賀正」の高座名を名乗っていた。
前座で名前が三回変わるという落語界の記録をもっている。


ちなみに、この公式プロフィールに書かれてる名前も生年月日も偽称ですから、
いったいどこまで、非常識なふたりなんだ。


「3〜!2〜〜!1〜〜〜〜!ガッポリ!ガッポリ!」








posted by 猫ひろし at 11:44| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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